2015年3月29日日曜日

思考のショートカット

私は常識という言葉が嫌いです。
その理由は2つあって
  1. 非合理的な常識
  2. 暴力としての常識

今回は1だけについて考えた。

昔からなぜなぜくんだった私は
いつしか科学者になりたいという野望を抱いて(今はなんちゃって研究者)
何かの本に書いてあったが「常識を疑う」ということを
心がけている時期があった。
理由を聞いて「当然・常識・普通」という言葉には全く納得しなくなった。
当然、親にも先生にもウザがられるのだが・・・

まぁ、そんなこんなで大きくなって
今は、常識がなぜ常識なのかという意味で常識を疑ったりする

そこで、常識は「思考のショートカット」だと思うようになった
もともと常識は合理的理由を持って作られそれに従うことで
その社会において深い思考をせずに大きな効用をもたらす行動規範やマインドセット
のようなものであったのだと思う。

であっても、現在においてはショートカットが作られた時期と違う
なので現代・現状において合理的理由がなかったりする。
その合理性を失っても多くの人に受け入れられているものが「文化」
それがもっと月日が経つと「伝統」になったりもするのかなと

話はそれたが、多くの常識には現代にも「合理的」な理由がある。
一方、「合理的」でない常識もある。

なので、やはり常識は疑い
合理的であるものは思考のショートカットとして
合理的でないものはそれに代わるものを
考えていくというのが「文化を作る」ということなのかな
と思ったりもする。

2015年3月25日水曜日

組織再編されることに思うこと

私が所属する組織が再編することになった。
よくも悪くも4月から環境が変わる。
苦手な人も、そうでない人もいろいろ思うことはあるけど
そんな組織がガラガラポンすることに合わせて。

組織を組織図から変える理由は何があるのかなと考えた時。
1.組織が実態と合わなくなった時
2.次のステージ(良くも悪くも)に組織を合わせる時
の二つがあるのかなと思う。

今回私が、経験する組織改編は1に該当している(上層部は2と言っているが)
実際、同じ部のなかで全く別のことをやっている課があって
さらに、その課のなかでもバラバラなことをやっている
厄介なことにある課でやっていることと、他の課でやっていること
が似ていたりすると今度は縄張り争いが起きてさぁ大変
それを解消するために似たようなことをやる部分をまとめて再編する
そんな感じですね。

そんなこんなで最も大きな再編する理由は
・コミュニケーションコストを下げる
なのかなと思った。

他にコミュニケーションコストを下げるには何があるのかなと考えると
昨今のグループウェアとしての社内SNSって意外と使えるのかな。
未だに、電子メールでメッセージとファイルをやりとりしているが
非常に煩わしいし2者間(メーリングリスト使えばその限りではないが)でしか
情報共有されずに過去のデータをリファレンスすることや
必要なファイルのディスカバリには非常に大きなコストがかかる
また、他の部署がどのようなことをやっているのか
似たようなことがどこでやられているのか

そんな感じでもうネタとしては新しくないけど社内SNSをうまく活用することには
一定の価値があるのではないかと思う。

最近は一つのことを深堀しながら、他の分野の人と議論して
学問の幅も広げることも求められる時代
研究所というからには、コミュニケーションってことに
もうちょっと注目してもいいのかなと思うのでした。

あ・・・そうか、うちコミュニケーションの研究所なのに
みんなコミュ力低いな(笑)

2014年11月9日日曜日

先が見えるつまらなさ

先が見えない不安と
先が見えるつまらなさ

すごく矛盾しているようで
やはりよくあることなのかな

他人には,特に気にかけている人には安定して
堅実な道を歩んで欲しいとおもうものだけど

いざ自分のことになると
先が見えるということが不満で仕方がないことに気づく

仕事に関して言えば
何年後にどのポジションぐらいについて
ここらへんにいって
お給料がこのぐらい・・・・等々

しかも,その見える将来に自分が理想としたものであったなら大万歳ですが
こう不満に思うということは頑張っても理想にはたどりつけないということですかね
だからこそ,なお更つらいってのがあるのでしょうか.

決して,今恵まれていないわけではないはずだけど
人間ってどこまでも傲慢で強欲ですね

そんなこんなで解決策として考えられるのは

1.期限を決めて,終わりがある物としてそれまで最大限頑張る
2.心を殺して作業に徹する
3.大海を求めて即刻離脱する

このぐらいしか思いつきません.